
備前焼に、うつわを鞘などに入れて藁や籾殻などで被って焼く「火襷」というやり方があります。「火襷」は、備前焼が野焼きから繋がっているやきものだと現代に伝えてくれているものだと思っています。ずうっと遡っていけば、備前も信楽も常滑も、同じような焼き方をしていたのだと思います。
穴窯がどう焼かれてきたかは伝わっていません。僕はただ本に出ている古いやきものの写真を観てどう焼いたのかを勝手に想像しているだけなので、間違っていたらごめんなさい。
古信楽の壺に「姫御前」という蹲壺がありますが、これはもう「火襷」だと思っています。土味が素晴らしく、あんなひびの入り方は世界広しといえども信楽だけで、自然釉なしで土味だけで魅せられる。あんなのを焼いてみたいです。(姫御前は少し自然釉がかかっていますね。)
さて、写真の壺ですが、信楽の土を弥生土器のような感じで、「火襷」で焼いています。これはこれでなかなか良く焼けたのですが、信楽のあんな土味を出してみたいので、また土作りから見直していかなければならないと思っています。
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